ペルソナ3リロード、最終回。
最後だけチョコたっぷり。
SEKAI NO OWARI
真の黒幕が分かった今、街は悲惨なことになっていた。
世界の終わりが近づいてきて街は荒れ始めた。こんなしょぼくれたクリスマスの街並みを、ゲーム内で見せられるとは思わなかった。
徐々に無気力人間が多くなってきて、世界も滅亡へ近づいてきている描写とどことなくセピアに色あせていく街並みが物寂しい。
店員のボイスも元気がなくなっていく。終わりが近づいている証だ。
さらには、変なカルト宗教まで流行りだす。教祖はこいつ。
本当にタカヤが神になってんじゃん。
冗談でモンスターエンジンの神(ネタ)だとか言っていたのに、本当にそんなポジションになるとは。
にしても滅亡が近いとこうなるんかね、終わりは。
いつぞやに信じられていた、終わりの予言のときなんかはどうだったんだろう。
ニュクス
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ついにタルタロスの頂上にたどり着いた主人公ら。そこでラスボスのニュクスと相まみえる。最終決戦だ。
0の愚者から始まり、XIIIの死神まで1段階ずつ形態変化していくラスボスだった。
ニュクスの前に戦ったジンとタカヤも体力の一定ラインでストッパーがかかっていたし、悪いことをしてワンパンしたりできないようになっていた。ジンとタカヤがいなかったら開幕ハルマゲドンをぶっ放していたところだった。あぶね~。
幸運にも、挑んだ時のPTの行動順がニュクスに良くハマりすぎていて、
主メシアライザー → コロマルランダマイザ → 明彦ゴッドハンド or テウルギア(ワンパン形体チェンジ) → アイギス補助バフ
というあまりにスムーズなループをしてしまった。
XIIIの死神までの全形態これ。状態異常が来てもニュクスのあとは必ず瞬間回復もちの主人公だったので、メシアライザーを打って事なきを得ていた。
よわよわラスボスだったけど演出はP4、P5よりも好きだ。いかにもラスボス感のある戦闘は好物。
ファイナルツッコミ大会
そしてラスボスを倒しただけでは事態は収まらず、主人公はひとり最終決戦へ。
主人公ら0愚者がI〜XIIのシャドウを倒し、XIII死神という転換点を迎え、XIV〜XXのコミュの力を結集させてXXIの「宇宙(世界)」に至る、と。まさにタロットの大アルカナの流れだ。
アイギスの永劫コミュなんかはまさにこのP3Rのメインテーマだったんだろうな。「生」の意味と「死」という終わりを意識する話。でもまあタロット目線で言うと、XIII死神は「決断」や「覚悟」というキーワードが絡んでいて、決してネガティブ一辺倒の意味ではないけれど。
話を戻して、最終決戦時に現場にいない仲間は前向きに主人公を応援してくれていた。
でも現場の戦闘メンバーは主人公が死ぬことを前提で話していた人が多かったのが奇妙だった。何かを察しているかのように。
それでも「死なないで!」より、「私たちの力を使って!」な気はする。
そして、真の最終決戦のこの時点で絶命していたんだろうけれど、卒業式での約束を果たすまでは死ねなかったんだろうな。
各コミュで仲間から貴重品を預かりまくっていたのでそう簡単には死ねない。ごく普通に親の形見とかを渡してきたやついたからな。主人公は貸金庫じゃねえぞ。
死の間際の五感のうち、最後に残るのは「聴覚」だと聞いたことがある。きっと、かけつけた仲間たちの声も聞こえたに違いない。
卒業式を抜け出すな。誰か捕まえろよ、先生は。
というか散々眠気に抗ってきただろ、授業中。
こんな時に目を閉じるなよ、主人公。
「あとは自分で考えてね」と言わんばかりのメッセージ性を感じた。
悲しさよりも卒業式を抜け出し、約束の場所へと笑顔で結集する仲間たちの奇妙さの方が残ってしまった。ピークは卒業式前日の各コミュの後日談をきいているところだったかもしれない。
本編はDLCで後日談なんだろうな、アイギス主人公のDLCっぽいし。
P3Rを終えて
ストーリーの感想としては、ブログ的に考えて文句というか意見をひたすら書き連ねられておもしろかった。が、万人受けしないような話だったので、P4はああいう楽しい雰囲気のストーリーにしたんだろうな~と同時に思った。
ここまで人の生死に何度も言及してくるゲームはそうそうないだろう。ゲーム体験というより考えてあーだこーだ言えたのが楽しかったので、そういうのが苦じゃない人が好きな話だったと思う。
ペルソナシリーズで比較してしまうと、P4のほんわかチームの方が好きだったけれど、P3Rもおもしろかった。戦闘システムはP5で完成したものを輸入してきているので文句がない。
何度か言及しているが、P3は前半に話が進まないのが致命的だ。後半は面白いのに、そこにたどり着くまでが長い。当時文句が出たのかは知らないけれど、その点はP4とP5はうまく改善されていると感じられる。
P3のコミュはP4、P5と比べても一番現実みのある、親近感が湧いて思わず自己投影して考えさせられる話が多かった。
以前も書いたけれど、「こういうやついたよな」とか「ありそう」な感じが一番して学校生活が自然と思い出された。
P4は舞台がちょっと田舎だったのと、P5はそもそもの設定が非現実的だったので、比較するとそう感じたのかもしれない。
すこし感想とはずれるが、P3Rのストーリーがあまりに大アルカナに沿ったストーリーだったので、気になってペルソナ1・2をざっと調べてみた。「これ、どっから生まれた流れなの?」という素朴な疑問だ。
すると、P2まではアルカナはあるものの、P3のようなコミュはなかった模様。つまり、今のペルソナシリーズの定番となっている、日常生活をなぞるようなスタイルが確立したのはP3のようだ。
P3で得たストーリー性をP4、P5へ継承した。で、P5までで得た演出やシステム面の強みを、原点回帰してP3に載せたのがこのP3Rということか。
こんなことされたら初代P3のファン、泣いちゃうんじゃない? 当初、私が考えていたP5の人気にあやかっただのなんだのというのは、とんだお門違いだったというわけだ。
3で革命を起こして、4で強みを生かして大ヒット、そして5で失速というゲームもあるのにようやっとる。
ペルソナシリーズをやり終えた後の、おなか一杯感は共通だなあ。
余韻に浸るというよりやりきった満足度が高く、しばらく昼寝がしたくなる。
――少しだけ目を閉じようか?
おまけ
手短に。いつもの。
チドリ
結局復活したチドリ。
順平が渡した白い花を生前大切に思い、それに生命力を分け与えて愛でていた。それが功を奏して蘇生するきっかけとなったらしい。
なんというバタフライエフェクト。その白い花を買ったの、私だけどな!!!!!!!
エンディング直前もそうだったけれど、ペルソナが無縁になると影時間絡みのことは忘れてしまうらしい。
ただ、卒業式の時のメンバーがそうだったように、チドリも何かきっかけがあれば記憶を取り戻せるのではないだろうか。この後の世界で順平とくっついていてくれ。
隠者コミュ
卒業式前日の感動後日談が多い中、この身バレエピソードは笑った。
「時に己を見つめ、自らの意志で道を決する勇気を…」
これが隠者。己の内面と向き合うこと。この事実とも向き合ってください、先生。
実績
DLCを購入しないとコンプリートできないみたいなので、このまま終わり。
気が向いたらやるのかもしれないけれど、DLCはやらずにこのメインストーリーの終わり方で終わらせておく。それが良い気がした。
おわり。